鬼の自分史 ~セッタと文太の豆まき~

鬼は~そと! 福は~うち!

今日はそこかしこからこのフレーズが聞こえてきそうですね。

パーソナルメモリーズ スタッフのキョウコです。

鬼の自分史

昔々あるところに、小さな村がありました。

小さな村には、村人とその村人をまとめる「文太」というおじいさんがいました。

小さな村はとてものどかで平和です。でも、一つだけ、村人を悩ませている事がありました。それは、村の近くの山に「セッタ」という子鬼が住んでいる事です。

セッタはとても怖い顔をしていて、人間の容姿とはかけ離れています。セッタがたまに村に降りて来る事がありますが、その容姿に村人達は恐れをなして、物を投げたり酷いことを言って追い返していました。

文太は今、70歳です。セッタが追い返されているところを文太は小さい頃から見ていました。文太は今では村人に「じい」と呼ばれる位の様相になっていますが、セッタの様相は相変わらず「子鬼」のままです。

文太は、何十年もセッタを見ているので、セッタが村に来ても悪さをしない事がわかっていました。悪さをしないのに恐れられる子鬼のセッタが段々かわいそうに見えてきました。

セッタに会いに

そこで文太は村人には内緒でセッタに会いに行って、どうして村に来るのか聞いてみることにしました。

文太:セッタよ、ワシは何十年もお前を見ているよ。お前が村に来ても、悪さをしないことはわかっている。 お前は何者なんだい?

セッタ:僕はここにずっと前から住んでいるんだ。文太じいさんの事も昔から知っているよ。僕は今は200歳なんだ。鬼は千年生きるんだよ。

文太:そうかそうか。どうして村にくるんだい? 村人が怖がっているので教えてくれ。

セッタ:僕は今、ここに一人で住んでいるんだ。寂しいから村人達と遊びたいだけだよ。でもわかってもらえなくて寂しいよ。僕は人間を食べたりしないし、傷つけたりしない。

文太:そうじゃな、お前が村で悪さしたところは見た事ないよ。そうじゃ、お腹減ってないか? 豆を持っているから食うか?

セッタ:豆? うん! わあ、美味しいねえ! 豆も美味しいし、文太じいさんとお話しできて嬉しいよ!

子鬼のセッタの目からは、ポロポロと涙が流れ落ちました。

文太:お前が良い子だと言う事はわかったよ。お前の為にも、村人の為にも、つながりを良くしたいものじゃがなあ。そうじゃ、村はのどかすぎて、祭りごとが全くないのでな、ワシが豊作を願う祭りを村ではじめることにするから、お前が一役買ってくれんか?

セッタ:祭りって、どんなお祭り?

文太:ワシはこの村で一番長生きしているから、その年に、豊作か不作かがわかるんじゃ。村人はそれをわからんがな、今年は間違いなく豊作になるはずじゃ。
だが、それは村人には内緒にして、豊作を願う祭りをやる。今日は何日だ? そうか2月3日か。これからは2月3日に祭りをやるから、その日にお前が村に来るんじゃ。わかったかい?
『セッタが村に来た年は、豊作になる』という具合に村人が思えば、村人もお前を恐れなくなるだろう。

セッタ:わかった! その時に、豆が欲しいな。文太じいさんからもらった豆、美味しかったから!

祭りの始まり

こうして、文太じいさんは村に戻って、豊作を願う祭りの準備をはじめました。

文太:村の衆よ、今年から豊作願うお祭りをはじめるぞ。ワシは何十年も見てるからわかるんじゃが、セッタが村を訪れた年はいつも豊作になっている。2月3日は豆を準備して家で待ってるんだ。セッタが現れたら、豆を与えてやってくれ。決して投げつけたりしたらいけないよ。セッタが悪さをする所をワシは見たことがない。いい子じゃから怖がらないでいい。

村人達:セッタはあんなに怖い顔してるのに、いい子だって? まあ、文太じいさんがそう言うなら、そうするよ。

そうして、2月3日に村人は豆を準備して待っていました。

セッタは、本当はまたいじめられるんじゃないかと、恐る恐る村に入って行きました。

けれど不安なのはセッタだけではありません。お互いに不安なのです。

村人達は恐る恐るセッタに豆を与えました。手渡しで渡す村人もいれば、やはりまだ怖いのか、豆が入った箱を家の前に置いておく村人もいました。

セッタは、人間達が自分を恐れずに豆をくれた事を大喜びしながら山に帰っていきました。

その年は、文太の予想どおりに大豊作となり、村人達は「セッタが来ると豊作になる」と信じはじめました。

祭りは毎年行われるようになりましたが、文太が不作だと予想する年は、こっそりとセッタに村に来ないように伝えました。これで、ますますセッタが来る年は豊作になると村人たちは信じはじめました。

村人達は、セッタが来るお祭りを毎年楽しみにするようになりました。

セッタと村人は少ないながらも交流を重ね、徐々に仲を深めていきました。

そして、文太とセッタは約束しました。

文太:セッタよ、段々と、本当にお前が来るから豊作になる気がしてきたぞ。娯楽が無い村だから、今では村人達も、お前が来るお祭りを楽しみにしている。今では、豊作でも不作でも、お前が来る事を村人は楽しみにしているぞ。毎年2月3日に村に来ておくれ。

セッタ:うん!

村では、毎年セッタが来るお祭りが風習となりました。村人とセッタは毎年一回のお祭りと交流を楽しみました。

豆

 

そうこうして、30年がたちました。セッタは千年生きるので、240歳、文太じいさんは100歳。他の村人達ももう70歳です。後は、その村人の子供や孫達。

新しい文化がはじまろうとしていました。

文太じいさんと村人達は、2月3日にセッタが来ることを楽しみにしていましたが、村の子供達は、セッタが来る事を嫌がっていました。

何故なら、子供達は「セッタが来る年は豊作になる」というお祭りの意味を知らなかったのです。子供達はセッタの様相が怖いので、恐れていました。

そして、長老の文太じいさんは亡くなりました。今では村人の孫達が大人となり、村の生活を切り盛りするようになりました。

文太じいさんは亡くなりましたが、セッタは毎年2月3日に村に現れます。

文太じいさんと約束したから。

村の子供達は、お祭りの意味もわからず、セッタが何故毎年村に現れるかわかりません。

村の子供達は、恐怖心からセッタに豆を投げつけるようになりました。

セッタはまだまだ生きます。セッタは何故また村人に怖がられているかわかりません。

これでは昔に逆戻りで、セッタは悲しくなってしまいました。

終わり

自分史を残す意味

今日の節分では鬼が出てきます。

鬼は外に出てもらい、福はうちに入ってもらいます。

一方的に豆を投げつけられてしまう役の鬼ですが、ゆっくりとおしゃべりをして人生のお話しを聞いてみたら、きっと鬼の自分史があるはずです。

鬼とおしゃべりをしてみて、鬼の自分史を読んだ後であれば、節分で豆を投げつけるのをためらうような内容の自分史かもしれませんね。機会があればおしゃべり自分史の取材で聞いてみたいところです。

上の物語は創作ですが、登場人物は違えども、現実に同じような話は多くあります。

あなたや家族の出来事、大切な思い出、人生の中で感じたこと、信念を自分史で後世に残す事で、誤解が解けたり癒されたりする人も周りにいると思います。

今日は豆を食べながら、あなたの自分史に加えて、鬼の自分史を空想してみると面白いかもしれません♪

続編「鬼の自分史 ~続編・セッタと文太の豆まき~」はこちらからご覧ください。
https://www.personal-memories.jp/jibunshi/20170210/

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