自分史を通して戦争体験を語り継ぐ
「永遠のゼロは実話?フィクション?」でも触れましたが、今回は戦争体験について考えてみたいと思います。
私は戦争を経験した高齢者の方と話す機会が多々ありますが、戦争体験を記録に残すという活動が少ないように思います。
戦争の時の話を聞くと、口頭ではとても丁寧に話していただけますが、それを聞いているだけで良いのでしょうか。
戦争の記録を残し、後世に伝える
せっかく戦争のことを聞いたとしても、そのことを後世や今の若者に伝えていかなければ意味がありません。
口頭で聞いて、改めて戦争について考えてみるということも大事ですが、それ以上に記録に残すことが大事だと考えています。
終戦から70年近く経った今でも、世界各国で戦争の火種が出ようとしています。
人間は忘れやすい生き物で、つい70年前に起こした悲惨な過ちをまた繰り返そうとしています。
本当にこのまま黙って見ていて良いのでしょうか。
戦争の悲惨さをよく分かっている人の話を世の中に広げ、残していくことが必要なのではないでしょうか。
そして、戦争経験者からお話を聞く機会は今しかありません。
あまりこのような話をするべきではないのでしょうが、みなさんよく分かっていることだと思います。
終戦の時に10歳だった子供も、現在は80歳になっているのです。
戦争経験を本人の口から聞けるということは、現在が最後のチャンスなのではないでしょうか。
戦争について聞くと、しっかりと話してくれる
戦争を経験した方は、現在の若者が想像も出来ないほど悲惨な経験をしています。
そして少なからず、心に深い傷を負っています。
戦争が起きた当時のことを思い出して話してもらうということは、ある意味傷をほじくり返すようなものです。
しかし大多数の方は、戦争という悲惨な過ちを私たちに繰り返して欲しくないと、強く願っておられるので、進んで話を聞かせてくれます。
この気持ちを無下にしていいのでしょうか。
様々な視点から見た記憶が大事な記録
稀に、
「わたしは疎開をしていたから、特に戦争で悲惨な目にはあっていない。」
と言ってあまり話してくれない方がいらっしゃいますが、もっと深く踏み込んで聞いてみてください。
必ず戦争に関するエピソードがあるのです。
まず、疎開をするということが現在から見ると普通ではありません。
この記録も大事なのです。
先日、疎開をしていた女性の話を聞きました。
「長野県に疎開をして、バネを作る工場で働いていた。
終戦間際に鋼が足りなくなって、工場は停止していた。
女性も子供も防空壕を掘っていた。」
とおっしゃっていました。
これも疎開した人にしかわからない記録ですよね。
このような話もどんどん蓄積していかなくてはならないのです。
悲惨じゃないと話さない?
上で挙げた女性は最初、
「わたしは特に悲惨な経験とかをしていないから、話すことは無いよ。」
と言っていました。
突っ込んで聞いてみるとどうやら、
悲惨な経験をしていないと話しても意味が無い
と思っていたようです。
世間に広がっている戦争の経験談はどれも、
・特攻隊に志願したが生きながらえた
・マカオに行って戦って帰ってきた
といった、凄まじい体験という意識があるので、「自分の話は役には立たないだろう」と考えているのです。
確かに、戦争経験談といってすぐに思い浮かんだり、映画になったりするのは、そのような経験談でしょう。
しかし、それぞれの視点から見た戦争の様子ということも同じくらい大事なのです。
現在残っている昔の重要な資料もそうです。
一般の人が一般の生活を日記などに書いていたから、当時の状況が分かる訳です。
身近な人にすぐに聞く
身近な戦争経験者に今すぐに経験談を聞いてみてください。
もう聞いているよ。という方も、改めて聞いてみてください。
必ず今後の為になります。
難しければ、無料で聞きに行くという活動もしていますので、お気軽にお申し付けください。
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いち早く行動し、平和な世の中を継続していくことが、辛い時代を生きた先人たちへの感謝となるのではないでしょうか。