何十回もの人生を生きた男の話
人生は一度きり
という言葉があるが、本当にそうだろうか?
確かにその通りなのだが、他の人の人生に触れることであたかも自分が経験したかのような感覚になることもある。
例えば、あなたが本を読んだ時、物語の中に引き込まれて自分自身が経験しているかのようになることだろう。
主人公の目線になって、泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだり。
それが極限まで達すると、ほぼ自分で体験したかのような状態になる。
そうすると、その主人公の考え方などが吸収されるのではないだろうか。
自分史を代筆することで本人になりきる
自分史を代筆するというのは、想像以上に骨の折れる作業だ。
お客さんの心情、背景などすべてが理解できていないと筆が全く進まない。
書き始める時には、当時の状況が映像のように見えているのである。
逆に言うと、この映像が見えなければ書けない。
主人公であるお客さんの中に入り込んだ状態で、映画のように再生されるのである。
すると、不思議なことが起きる。
名前しか知らない人でも、顔が分かるのだ。
いつも一緒に遊んでいた正志くん。
隣を見ると正志くんが笑っている。
お互いに大人になってもたまに遊ぶ。
少し老けているけど、相変わらず昔のような関係だ。
実際には、正志くんは、私が考えている顔じゃないだろう。
だけど、正志くんがどんな人であるのかは、かなり本物に近いだろう。
この感覚が、正志くんだけではなく、他の人や状況にも当てはまるのである。
本人の次にお客さんのことを知っている
先日、お客さんと話をしていて、
「私の次に、須藤さんが私のことを知っています」
と言っていただいた。
確かにそうかもしれないな。と思う。
出来上がった自分史を読むことでも、かなりその人のことが分かる。
だけど、代筆となると、完全に考え方までが理解できるのである。
さらに、出会った人の感じ、光景なども脳内で映像として見ているので私自身が経験した思い出のように理解しているのである。
お客さんが娘さんに昔話をして、
「杉本さんが~」
と話しても、娘さんは
(誰だっけ・・・?)
となることがあるが、
お客さんが私に
「杉本さんが~」
と話をすると、
杉本さんの顔まで頭の中に浮かんできて、
「あ~、横浜で不動産屋をやってる杉本さんね!」
となる訳だ。
自分のことを何でも知っているので、だいぶ話易いと思っていただいているみたいだ。
そうやって、お客さんの知恵や経験を学ばせていただいて、とてもありがたく思っている。