プロフィールを作成する際は自分史を活用する
今日、とある会社の社長と打ち合わせをしていた時のこと。
「プロフィールって載せる意味あるのかね?」
「ありますよ。どんな人なのか、知りたいじゃないですか」
「だけど私はこれと言って何をやってきた訳じゃないからな~」
ん?
これはどこかで聞いたことがあるセリフだぞ。
自分史の事業をやっていると、このセリフに出会う確率が高い。
大体は、
・謙遜している
・「自分史って怪しくない!?」と防御姿勢になる
・考えることを放棄している
という理由だが、
このセリフを聞くと、猛烈に寂しい気持ちになる。
なぜかと言うと、
その人を取り巻く人と歴史を全て否定しているように聞こえるから。
例えば、会社の社長がこのセリフを言うとする。
何十年も立派に経営してきたことが凄いのに忘れてしまったの?
会社の経営も、良い時ばかりじゃなく、山あり谷ありだったはず。
お客さんとのエピソードは一つも無いの?
凄く感謝されたとか、凄く怒られたとか。
従業員との話は?取引先との話は?
一番楽しかった時、辛かった時はどんなとき?
と、色々な疑問が出てきてしまう。
考えても、整理されていなくて分からないのか。
考えていないのか。
考えても分からないのであれば、時系列に整理をしてみれば良いだけだ。
年はズレていたって良い。大まかに思い出せれば良いだけだから。
息子さんとお母さんの自分史
「だけど私はこれと言って何をやってきた訳じゃないからな~」
という言葉になんで敏感なのかと言うと、
お客さんがとても悲しんでいる光景を目の当たりにしたから。
息子さんが、
「母の自分史を作りたいんですが・・・」
と依頼してきてくれた。
息子さんと二人でお母さんのところに行ってみると、例のセリフが聞こえてきた。
こちらとしては、無理やり自分史を作って欲しい訳でも無いので、息子さんとお母さんの様子を見ていると、
息子さんは、とても悲しい顔をしていた。
理由は二つ。
一つは、
「自分史を作ってくれと依頼してパーソナルメモリーズに来て貰ったが、このままでは追い返すことになりそうだ。母は喜ぶと思っていたのだが・・・」
という気持ち。
二つ目は、
「何も無いってどういうことだ? 俺という存在を生んだことも何も無かったのか? 色々な思い出も忘れてしまったのか? 孫が生まれた時、あんなに喜んでいたのに・・・」
という気持ち。
二つ目の気持ちを考えると、ちょっと酷ではないか。
息子さんとしては、
・自分のルーツを知りたい
・自分史を作ることで親孝行になれば良い
・母とのコミュニケーションを増やす良い機会になれば良い
という気持ちが表面にある。
だけど、よーく話を聞いてみると、深層心理としては、
・俺が生まれてきてどれだけ嬉しかったのか聞きたい
という気持ちが裏面にある。
息子さんは、閉塞した生活の中で愛情が欲しかったのかもしれない。
「息子が生まれた」というお母さんの自分史で起きた、一大イベントの話を聞くことで、自分への愛情を確認したかったのかもしれない。
だけど、あのセリフに一蹴されてしまった。
繰り返すパターン
このエピソードは、全く別の人でも起きた。
内容は、台本があるかの如く、まったく同じ。
もちろん、息子さんはもの凄く悲しい顔をしていた。
今日、あのセリフを聞いて思い出した。