天国に届いて欲しい自分史

今年の初めに自分史を急いで作って欲しいという依頼があり、都内の病院まで打ち合わせに行き、おしゃべり自分史の取材を開始しました。

娘さんが、入院しているお母様の代わりにパーソナルメモリーズに連絡を取って依頼してくれました。

何回か病院で取材をした後、退院することが出来てご自宅への取材に切り替わりました。その後も再入院と退院を繰り返して、病院とご自宅への取材をしていました。

娘さんから余命についてのご連絡を受ける

娘さんから、
「主治医から余命について宣告を受けました。須藤さんにもお知らせしとかなければと思ってご連絡しました。もって夏までだそうです」
と連絡がありました。これまでも最大限急いでいましたが、さらにスピードアップさせようと肝に銘じ、ご家族にも早く完成させることを約束しました。

何度もご自宅と病院に通い詰めてようやく最終確認をしていただき、本人からOKを貰いました。その前から製本の工程には、特急で優先的に作って欲しい旨を伝えており、OKをいただいた数分後には製本工程に移りました。

最終確認でOKをいただいた四日後、娘さんから亡くなってしまったとの連絡を受けました。最終版の原稿は何度も読んで貰いましたが、楽しみにしておられた本は結局お見せすることは出来ませんでした。

あとちょっと、製本だけ間に合わなかった・・・。

大変楽しみにしていらしたので、ぜひ完成した自分史を見せてあげたかった・・・。

後悔してもキリがない。最大限出来ることは尽くした。最終確認まで見届けた所でホッとしたのかもしれない。

考えても答えが出るものでは無いのかもしれないが、ただただ出来上がった自分史を見せてあげられなかったことが残念だ。

夢にお客様が出て来た時に、

「間に合わなくてごめんなさい」

と言った。

「良いの、良いの!」

と明るく言っていただき、アップルパイを食べさせて貰った。ほんの少しだけ心が軽くなった。

訃報を聞いた次の日に納品

ご家族から電話で、

「棺に自分史を入れたいので、どんな形でも良いので一冊、明日までに用意出来ませんか?」

と依頼をいただいた。製本はスタートダッシュをしているので、簡易な製本であれば次の日までに持って行ける。

弔問には簡易な自分史を持って行く。ここで初めて形になった自分史を見せてあげることが出来た。

ご家族はいつも通り、甘いお菓子をたくさん用意しておいてくれた。

「須藤さんが来るんだから、お菓子を用意しておいて!」

と常々言われていたとご家族から聞いた。

ご自宅での取材の時に、ずっと私のお腹が鳴っていたことがあった。

「なんにも用意していなくてゴメンね!」

その日はたまたまお菓子を用意していない日だった。申し訳ない気持ちと恥ずかしさと失礼だという気持ちで、

「すいません! すいません! 全然お気遣いなく!」

と気を遣わせてしまったことがあった。

「須藤さんを息子のように思っていたようで、いつも取材に来てくれるのを楽しみにしていたんですよ」

と娘さんが言ってくれた。

弔問時にもたくさんのお菓子を用意しておいてくれて、

「たくさん持って帰ってね!」

とたくさんお菓子をいただいた。

自分史_お菓子_1

天国に持って行った自分史

弔問時に持って行った簡易自分史はご家族の意向で棺に入れてもらった。間に合わなかったことは残念だが、楽しみにしていた自分史を天国でじっくり読んでもらっていたら嬉しい。

最後の言葉

いつも取材後のお見送りはご家族がしてくれていたが、最後の日は誰もいなくてご本人がお見送りをしてくれた。

玄関まで来て、

「靴が綺麗だね」

と言って貰った。嬉しかった思い出だ。

完成した自分史の納品

亡くなってから約二週間後に自分史を納品をした。凄く早く製本が出来たが、結果的には間に合わなかった。だがご主人は、

「色々とご尽力いただきありがとうございます。妻も喜んでいると思います」

と優しい言葉をかけてくれ、甘いお菓子をたくさん出してくれた。

完成した自分史を本人に見せてあげたかったので、お仏壇に自分史を置き、お線香をあげ、手を合わせて、心の中で、

(間に合わなくてごめんなさい。完成した自分史を持って来ましたよ)

と言った。

お線香の煙の向こうで遺影が優しく微笑んでくれた。

自分史_お菓子_2

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